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2024 SPRING

近現代都市建築の「よろずや」

乙支路(ウルチロ)では建築によってソウルの歴史を垣間見ることができる。同地は20世紀初頭に商圏が形成されると近代的な洋風建築物が造られ、数十年にわたって工業地区として活況を呈した。隙間なく密接した当時の建物が今も残っており、1980年代に都心の再開発が積極的に進められた結果、モダンな高層ビルも林立している。
Sewoon Plaza, with a history of over half a century

半世紀以上の歴史を持つ世運商店街。韓国初の住商複合施設で、1970年代の韓国社会の急速な経済成長を象徴している。2023年10月にソウル市が同地を公園にするという計画を発表し、再開発のための撤去を控えている。写真は一番南側にある進洋(チニャン)商店街。
©ノ・ギョン


乙支路は、ソウル特別市中区の旧都心部を横切る長さ約3㎞の片側3車線道路だ。大韓帝国(1897-1910)時代の祭壇である圜丘壇(ファングダン)前の市民公園から新堂洞(シンダンドン)にある漢陽(ハニャン)工業高校まで続いている。もう少し有名な施設を基準にすると、ソウル特別市庁から複合文化空間の東大門(トンデムン)デザインプラザ(DDP)までつながっている。その北側には清渓川路(チョンゲチョンロ)が、南側には退渓路(テゲロ)が並行して東西に走っている。一般的に芳山洞(パンサンドン)、山林洞(サンリムドン)、笠井洞(イプチョンドン)など周辺の地区をまとめて「乙支路」と呼んでいる。

ソウルの代表的な商業・業務地区で、建築物も特徴的だ。レトロな近代建築物、スレート屋根の古い工場、洗練された高層ビルが共存し、独特な様相を呈している。それは乙支路の歴史が生み出した風景だ。

多層的な構成

乙支路が都市空間として歴史に登場したのは朝鮮時代(1392-1910)だ。ソウル建都の際に整備された行政区域の中で、南部にある明哲坊(ミョンチョルバン)に属していた。宮廷に近い通りで、早くから都市の中心だった。

乙支路は大韓帝国と日本統治の時期に最も栄えた。1909年には民族資本の大韓天一(テハンチョニル)銀行(現在のウリィ銀行)の社屋として広通館(クァントングァン)が乙支路の入口に建てられた。西洋式の2階建てで今も銀行の支店として使われており、2002年にソウル特別市の記念物に指定された。

Design specialist dmp remodeled

乙支路には近代に造られた洋風の建物、産業化の時代に量産された低層のコンクリート建物、そして最新の高層ビルが共存している。乙支路入口にある大一(テイル)ビルディングのリノベーションを受け持ったデザイングループ「ディーエムピー(dmp)」は、1909年に建てられた広通館と調和するように、永続性が感じられる仕上げ材を用いてディテールと景観照明に力を注いだ。
© ノユン・ジュヌァン(尹晙歓)

1925年には現在の東大門デザインプラザがある場所に京城(キョンソン)運動場が造られ、翌年には太平路(テピョンロ)1街に京城府庁の庁舎ができた。この建物は1946年からソウル特別市の庁舎として使われ、2012年の新館完成後は図書館になっている。つまり乙支路の両端に大きな施設ができたわけだ。1928年には明洞(ミョンドン)の入口に京城電気株式会社(現在の韓国電力公社)の社屋が造られた。当時としては非常に高い5階建てで、韓国で初めて耐震・耐火設計が施されてエレベーターもあった。

乙支路は乙支路入口一帯の繁華街を中心に、近代文明の初期から洋式の建物が造られ、その後の都市建築も同様に進められた。その原点は、1930年代から始まって1950~60年代に量産された2~3階建てでコンクリート製の商業施設にある。今でも乙支路3~5街には、当時の建物が数多く残っている。建物と建物の間隔が50cmに満たないものがほとんどだ。また、今はあまり使われないタイルの外装が多く、貴重な史料ともいえる。乙支路3街には年月を感じさせる古い建物の前に、2011年に完成した25階建てのオフィスビル、パインアベニューがあって対照的だ。このように乙支路には建設年代、建築様式、高さなど、それぞれ異なる建物が数多く立ち並んでいる。まさに韓国近現代建築の博物館といえよう。

The area teems with concrete commercial buildings

乙支路には1950~60年代に造られた2~3階建てでコンクリート製の商業施設が立ち並んでいる。建物と建物の間隔がほとんどないのは、都市の景観を考慮した当時の建築法によるものだ。またタイルの外装も、その当時よく見られた特徴だといえる。
©パク・ヨンジュン(朴瑢峻)

韓国初の住商複合施設

韓国は韓国戦争以降、急速な高度経済成長を遂げた。乙支路はそうした経済成長を牽引し、現在も同様の役割を果たしている。その始まりは世運(セウン)商店街だといえる。韓国初の住商複合(居住と商業の機能を併せ持つ)施設で、韓国の代表的な近代建築家キム・スグン(金壽根、1931-1986)の設計によるものだ。世運商店街、大林(テリム)商店街、進洋(チニャン)商店街など八つの建物からなり、まとめて「世運商店街」と呼ばれてきた。最初にできた現代(ヒョンデ)商店街が2009年に撤去され、現在は7棟が残っている。

1966年に着工して1968年までに順次完成した同商店街は、宗廟(チョンミョ)前から筆洞(ピルドン)に至る全長1kmほどの大型商業施設で、機械、工具、電気、電子などの部品から家電製品まで網羅する巨大な商圏が形成された。商業施設の上にあるマンションは、当時の住宅では珍しかった蒸気暖房、浴槽、エレベーターなどが備えられていた。建物の中には入居者のためのゴルフ練習場とサウナまであった。このビルは都心にそびえ立つ高級マンションとして威容を誇り、瞬く間にソウルの名物になった。「地方から来たら、世運商店街さえ見ておけばソウルの見物は終わったも同然だ」という言葉まで生まれたほどだ。

この商店街の中でも大林商店街は、作品性が高い建物だ。キム・スグンが好んだ建築様式である構造主義の特徴がよく表れている。低層部、歩行者デッキ、中間の突出部、高層部で構成され、各部ごとに出入りできるようになっている。低層部には階段が独特な形で設置されており、デッキと突出部を細いコンクリートの柱で支えているのも特徴的だ。突出部の中央は陶器のかけらで装飾されており、当時イギリスで流行していたニュー・ブルータリズムの武骨さを思い起こさせる。

The buildings in the complex

世運商店街の建物には全て、居住用のマンションが始まる5階に対称構造の幾何学的な天窓と吹き抜けがある。建物中央の吹き抜けはロの字型で、半透明のアクリル製天窓から柔らかな日差しが降り注ぐ。建築家キム・スグンの気概が感じられる吹き抜けでは、多彩な文化芸術イベントが行われている。
© イ・ギョンファン(李炅奐)

ダイナミックな高層ビル群

1970~80年代にはソウル市庁と地下鉄2号線の乙支路入口駅の間にロッテ、ウェスティン朝鮮、プラザ、プレジデントなどの大規模な高級ホテルが造られ、ホテル通りになった。その近くには銀行の支店がオープンし、南側の韓国銀行本店と北側の広通館を結ぶ金融通りも誕生した。

1986年に完成した乙支韓国ビルは、当時を代表する地上20階、地下4階建てのオフィスビルだ。前面にカーテンウォール(ガラスの壁)を用いてモダンなイメージを与え、前面の両端は花崗岩で仕上げて安定感を高めている。中層階では外壁を内側に入り込ませてベランダを設けている。これには建築物の印象を豊かにする造形的な機能もあるが「ハヌル(空)公園」とも呼ばれる市民の憩いと展示の場として開放されている。韓国のビルとしては初めてで、大きな話題になった。

2000年代以降は乙支路入口を中心に再開発がさらに進んだ。乙支路入口から乙支路2街までは数百メートルに過ぎないが、ガラス張りの高層ビルが競い合うように立ち並んでいる。中でも2010年に完成したフェラムタワーは目を引く存在だ。

地上28階、地下6階建てで六面体を基本にしながら、ビルの輪郭は大胆に傾斜させて現代的な魅力を引き出している。そのため、見る場所によって外観が変化する。傾斜によって削られた部分は大きくないが、収益確保が重要な都心の再開発事業において、建築主が面積を減らしてでも造形的な変化を試みたものと考えられる。

外壁はカーテンウォールを三つの方法で用いて傾斜をうまく表現し、ガラスによって構成美を感じさせる。周りには建物が密接しているが、かえってその形がガラスに映って壮大な視覚効果をもたらしている。屋上の部分も斜めに切り立っていて、ビルの高さも加わりユニークなスカイラインを描いている。向かい側の路地からも、頭を突き出したフェラムタワーが目に入る。

乙支路の輪郭をさらに広げると、南側は大韓帝国時代に造られたゴシック様式の明洞聖堂(1898年)と韓国初の大規模教会といえる永楽教会(1950年)、北側は2019年にリノベーションされて清渓川の名所になったハンファビルが、乙支路の都市建築の圏内に入る。同地の「よろずや」らしい特徴がいっそう際立つだろう。歴史性は由緒ある都市に欠かせない条件といえるが、ソウルでは乙支路がその役割を担っている。


Ferrum Tower near Euljiro 1-ga Station

乙支路入口駅の裏手にあるフェラムタワー。ダイナミックな企業イメージを表すため、時間によって建物の外観が違って見えるようにデザインされている。間三(カンサム)建築が設計したもので、2011年に韓国建築文化大賞の竣工建築物部門で優秀賞を受賞し、同年ソウル特別市建築賞の一般建築部門でも優秀賞を受賞した。
© 間三建築



任奭宰 梨花女子大学校建築学科教授

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