메인메뉴 바로가기본문으로 바로가기

2022 AUTUMN

サービスで差別化をはかるビリヤード場

コロナ禍の影響でだいぶ店舗数は減ったものの、文化体育観光部の2021年度統計によれば、国内に登録されているビリヤード場は15,845店だ。9000人を対象にしたある調査でのビリヤード 年間参加人口は、男性では12.5%で1125人(複数回答)に達する。主に男性が趣味や運動、または親睦を目的としてビリヤード場にやって来る。経営者のキム・マンヨン(金萬演)さんは、ビリヤードではなくサービスを売るんだと、今日も明るい笑顔で、訪れる常連客たちを迎えている。

彼のビリヤード場には座ってくつろげる空間はない。だが、きめ細かく管理され快適なコンディションを維持する施設があり、お客から求められる前に気付くサービス精神がある。

『仁政殿の東行閣にオクトル台2台が置かれており、ときどき大臣たちとキューを握った』

仁政殿は昌徳宮の正殿でオクトル台というのは玉突き台のことだ。「大臣たちとキューを握った」人物は朝鮮王朝の最後の皇帝・純宗で、毎週月曜日と木曜日をオクトル(玉突き)日に決めていたほどのビリヤード好きだったという。

上記の記録は純宗の葬儀の様子を特集した写真集『純宗国葬録』に出てくるが、純宗が逝去したのは1926年だ。1884年にアメリカ人宣教師が済物浦に玉突き台をはじめて設置し、1909年には王室にも伝わったという。純宗が王宮内でビリヤードを楽しんでいた当時、日本人が経営する市中のビリヤード場も盛況だった。韓国人経営の最初のビリヤード場ムグンホン(無窮軒)は、1924年に開業し上流階層の人々の遊技場、且つ社交場として使用されたという。


心をこめた挨拶
ソウル市九老区のデジタル団地の裏通りに入ると、立ち並ぶビリヤード場の看板が目につく。金曜日の午後4時「ダビンチビリヤード」の扉を開けるとゲームに熱中する人々の嘆声が飛び交っていた。

出勤したばかりのこの店の主人キム・マンヨン(金萬演)さんは、各台を回りながらお客に挨拶をする。

「この街には建物ごとにビリヤード場の一つはあります。お客さんにうちの店に来てもらうためには、何か特別なものがなければなりません。最も反応が良かったのが挨拶です。各台をまわって『いらっしゃいませ』『不便な点はありませんか』などと挨拶し、時には冗談もかわすんです。ビリヤード場は何を売るところだと思いますか」

唐突な質問が記者に向けられた。「もしかして、サービスですか」と切り返すと、実に嬉しそうな顔をした。「そうなんです。サービス業ですから。ビリヤードの腕をふるうのは競技者たちです。彼らはサービスを受けるためにやって来るので、オーナーやマネージャーはいつでも必ず店にいて、努力している姿をお客さんたちに見せなくてはなりません。乞われる前にこちらから先に察してサービスを提供するんです」。

キムさんは午後4時に出勤して、午後10時に夜間の勤務員が来たら交代して退勤する。その際にも挨拶は欠かさない。握手やハイタッチなどのスキンシップを行い、目が合えば会釈もする。

「新しい従業員が入れば最初に教えるのが挨拶の仕方です。相手を尊重する気持ちをこめて礼儀を表わすのが挨拶ですよね。それがサービスの始まりだと思います」。ビリヤード場を開業する前のキムさんは、30年間サラリーマン生活を送ってきた。大企業の企画調整室で主に顧客満足度のマーケティング業務に就いていたので「サービス」には敏感だ。

停年後の第2の職業
「同じ職場で30年間勤務し、2012年に退職しました。2カ月ほど休んだんですが、働き通しの人生だったせいか、休むのが辛くなってきました。何かしなくては、何をしようかと悩んで子供たちに意見を聞いたところ、次女が『パパは何が得意なの』と聞くんです。クラシックギター、ゴルフ、ボーリング、囲碁、ビリヤード、何でも得意だと答えたら、その中ならビリヤードが一番良さそうだと言うんです。のんびりやってみたらと娘に言われました。ビリヤードはできても経営に関してはまったくの素人なので、書店に行き本を一冊買いました」。

「ビリヤード場でもやってみようか」という本の中の一行が目に留まった。「本には『200点は栄えて、1000点はつぶれる』と書いてありました。店主がビリヤード200点の実力ならお客さんに熱心にサービスするが、1000点になるとお客に教えようとするので店はうまくいかなくなるというのです」。

ところでキムさんは四つ玉で1000点を挙げる実力派だ。プロ並の腕前だと言える。「教えようとしたらダメなんだ」と肝に銘じてビリヤード場を開きました。あれこれ学びながら少しずつ商売が面白くなってきた頃、『隣の店の方が施設やサービスがいい』と言って常連客を引き抜いていく詐欺まがいの人間から痛い目に合いました」。お客が減り、赤字が続き店のテナント料さえ払えなくなりそうになったとき、キムさんは「お客さんに教えよう」と思い立った。インターネットの有名なビリヤード同好会サイトに『ビリヤードとは数学と物理学』というタイトルでコラムを連載し始めた。

「中学高校時代には公式を勉強し、大学に入学したら公式が作れる過程を学びますね。既存のビリヤードの入門書には公式だけが出ていますが、それをそのまま覚えてもすぐに忘れてしまいます。原理を理解すれば創意力も生じます。そこに重点をおきました。1年まるまるかかって書きあげ、一枚一枚プリントしてお客さんに渡しました」。

店の状況は少しずつ良くはなったものの相変わらず赤字は続いていた。もう店を閉じようかと悩んでいたときに、親しくしていた国家代表のビリヤードプロ選手からソウル市九老区にあるデジタル団地に行って見るようにと勧められた。九老公団の跡地に新しく作られたデジタル団地はIT企業が軒を連ねる、社会に第一歩を踏み出したばかりの若者が主流の街だった。流動人口が多く一日24時間賑わっていた。「夕方の6時頃に来てみたら、地下鉄駅まで長い列をなして退勤する人々の姿がありました。それを見て2度目に来たときに契約しました」。

最初の店を2年で畳み、今の場所に移ってきたのが8年前だ。363㎡の広さに16台の玉突き台がある。ひと月のテナント料が1,000万ウォンで初日の売上は30万ウォンだった。それが2週間もたたずに100万ウォンを超えた。一年間に得た利益の10%は再投資して玉突き台や設備を新しいものに入れ替えていった。朝10時から翌日の深夜2時まで営業しているが、お客の状況を見て早朝5時に店を閉めたこともある。昼間の時間帯は余暇生活を楽しむ60代が主な客層で、終業後は30~50代の会社員でにぎわう。深夜の時間帯には10~20代がやって来る。一日平均100人以上のお客が彼の店を訪れる。

 

昼間は余暇生活を楽しむ60代、終業後には会社員、深夜には若者たちで店はいつも賑わっている。

特別なサービス
キムさんがビリヤードを最初に覚えたのが高校を卒業して予備校に通っているときだった。最初から上手だったのかとたずねると「王道はありません。研究と努力の対価です」と答えが返って来た。

「1974年に大学に入学しましたが、当時は娯楽文化もあまりありませんでした。囲碁でなければ、ビリヤードという程度でした。10年前にビリヤードの競技中継をするケーブルチャンネルが生まれ、ビリヤード人口も増えてきました。2010年広州アジア大会では正式種目に採択されビリヤードがスポーツとして認められて、遊技場だった店はスポーツ施設となりました」。

ビリヤード人口の増加に伴い、ビリヤード場も急速に増えている。引退後の第2の人生を夢見て起業する「シニア起業者」が急増したことも一因となっている。2020年の統計によれば、60歳以上のシニア起業者6人中5人は結局廃業するという。生き残るためには、他者とは違うサービスを提供しなくてはならない。

「座って一息つける余裕空間があるといいのですが、うちの店は台がびっしり入っていて快適ではありません。その代わりに設備を良くしようと努力しています。玉突き台ごとにVAR(Video Assistant Referees)を設置してゲームをしていてトラブルになった際に、ビデオで確認できるようにしました。午後6時までは11,000ウォン払えば何時間でもゲームをすることができます。1時間に1回は飲料水のカートを押して台を回りながら、何か必要なものはないかとたずねます。壁には時計もかけてありません。何かがかかっていると視線がいき、文字があれば読むようになり、そうなると集中力が散漫になります。コールベルもありません。呼ばれる前に行ってサービスをするという意味です」。

年を取って引退し、友人たちと時間をつぶすのに一番コスパが良いのは、ビリヤードだというのがキムさんの自論だ。費用もあまりかからず、頭を使うので認知症の予防にもなるという。キムさんが書き綴ったビリヤードのコラムは本となって出版され、ビリヤード愛好者の間で好評を得ている。噂を聞いてやって来る人々には個人レッスンもしている。

「ビリヤードはニュートンの運動法則をそのまま適用する物理学であり、動く角度は数学です」。彼の本の表紙に書かれた文句だ。本には図解付きでルートの計算方法やピタゴラスの定理が出てくる。彼の本を読んで公式だけでなく原理原則まで理解した人々が実力があげていくのを見る喜びも大きいという。

ビリヤードはもちろんゴルフ、クラシックギター、ポーカー、囲碁までアマチュア以上の実力を備えているキムさん。それでも足りないのか最近では、マウンテンバイクに嵌まっているという。月曜日から土曜日までは出勤し、休みの日曜日には自転車で山に登る。

「末息子が結婚するときにクラシックギターの演奏で祝ってやるのが夢です。引退後の人生ですから、できるだけ楽しく過ごさなくては」。

30年間のサラリーマン生活に終止符を打ち『ビリヤード場でもやろうか』と始めた仕事が、人生の新しいエネルギー源となった。したいこと、楽しいことが依然として満ち溢れている第2の人生だ。

 



ファン・ギョンシン黄景信、作家
イ・ミニ 写真家

전체메뉴

전체메뉴 닫기