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2022 WINTER

愛すればこそ生まれるアイデア


コ・ソヌン(高宣雄)は戯曲を書き、脚色する劇作家であり、台本に息遣いを吹き込む演出家でもある。演劇からスタートし唱劇(パンソリの唱法を基本にした歌劇)やミュージカル、オペラを行き来し、彼だけの確固としたスタイルを築き上げてきた。観客の喝采と劇評家の高評を同時に得て、かつ興業面と作品面の両方で認められた稀有な演出家だ。万能な演出家といわれる彼とソウル国立中央博物館の中にある「劇場ヨン(龍)」で会った。

「演劇界のブルーチップ」といわれるコ・ソヌン(高宣雄)は、多くの戯曲賞と演出賞を受賞した中堅演出家だ。演劇だけではなくミュージカルやオペラ、唱劇など幅広いジャンルで活躍している。最近、ソウル市劇団の団長に選任された彼の目標は、同時代性を反映させた創作劇を着実に披露することだ。

コ・ソヌンは演出を「床に横になっているテキストを起こして、立ち上げる作業」だと定義する。虚構の物語を作り出すことも、それを舞台にかけて感動とおもしろさを生み出すことも彼はすべておもしろいからしているのだ。「おもしろさ」こそ、彼の作品に一貫して流れている核心要素だ。しかし、そのおもしろさはただ可笑しいだけではなく、何か考えさせるものを投げかけてくる。彼にとって喜劇的な要素は悲劇をより深く探求するための過程であるからだ。
彼は大学時代にサークル活動で演劇と初めて出会った。そして1999年の『韓国日報』新春文芸で、戯曲『憂鬱な風景の中の女』が当選した。その後、数多くの作品を書き、脚色し、演出してきた。彼が手がけた作品はことごとく好評を博し「演劇界のブルーチップ」として注目を浴び、数多くの戯曲賞と演出賞も手にした。
2018年の平昌冬季オリンピックでは開会式と閉会式を総演出し、5.18民主化運動から40年の記念創作ミュージカル『光州(City of Light)』、慰安婦被害者たちの物語を扱ったオペラ『1945』の演出も行った。最新の作品は、今年10月に国立中央博物館の劇場ヨン(龍)で公演されたジュークボックスミュージカル『百万本の愛』だ。2021年に京畿道議政府市の芸術の殿堂で初演されたこの作品は、韓国近現代史100年を、その時代にヒットした大衆歌謡で表現したことで大きな話題を集めた。この多芸多才な芸術家はついに映画にも関心を示した、「脚本・監督、コ・ソヌン」というタイトルの付いた映画を観る日も近いだろう。
善き意志が素晴らしい作品を作り出すというのが彼の持論だ。仕事の方式もカリスマ性あふれる舞台の上の独裁者とはほど遠い。俳優はもちろん演劇界の各分野のスタッフたちとも円満な関係を築いている。休みなく作品活動にまい進してきた彼に今年9月、任期3年のソウル市劇団団長という肩書が加わった。

演出家として最も重点を置いている要素は何ですか。
観客の目線に合わせることが一番重要です。観客好みの作品を作ろうと考えています。もちろん美学と芸術性も重要です。しかし、どんなに良い作品でも観客にとって難しすぎたり、観客にそっぽを向かれる作品になっては何にもなりません。受け入れられなければ作品として存在する理由がありません。私は観客が劇場に足を運んで作品を見てくれてこそ、ようやく公演が完成したと考えます。おもしろさと芸術性の両方を兼ね備えていなくてはなりませんが、それは決して容易いことではありません。それで作家、俳優、スタッフたちと何度も何度も話し合い、意見を交わすんです。

2021年11月、京畿道議政府の芸術の殿堂で初演されたジュークボックスミュージカル『百万本の愛』は、韓国の近現代史を100年間のヒット曲で表現した作品で、それぞれの時代を象徴する主要場面が登場する。
© 劇工作所マバンジン

『趙氏孤児、復讐の種』、『ラクダサンジャ(駱駝祥子)』に続いて今年は、中国古典を原作とする演劇『フェランキ(灰闌記)』が3番目の舞台になります。中国古典に関心をもった特別な理由がありますか。
中国の作品だからではなく物語自体がおもしろいからです。中国の古典はストーリーが単純明瞭です。ストーリーそのものが演劇というジャンルによく合います。中国古典には「死んだ人退場」などと説明書きしたト書きが出てきます。はたして死んだ人がどのように退場するのか。現代劇のように暗転もないので、本当にそういう風にするんです。演劇の形式に忠実なのです。また主題や素材が今の時代にぴったり合った作品が多いこともあり、現代に通じると言えます。

最近再演したミュージカル『百万本の愛』はどんな内容ですか。
巨大な歴史的な事件の中には偉人や英雄の物語だけでなく、民衆の人生も含まれています。そして大衆歌謡は、そんな彼らが時代の激浪に巻き込まれて経験した愛と別れ、痛みを歌っています。過去100年間の大衆歌謡を順に聞いてみると、韓国人がどのようにしてこの100年を生きてきたのか理解できます。

中国の古典『趙氏孤児』を現代の感性で脚色し舞台にした『趙氏孤児、復讐の種』は、2015年11月ソウル明洞芸術劇場で初演され、その年の最高の舞台と絶賛された。翌年、中国北京の国家話劇院大劇場での公演でも現地の観客はスタンディングオベーションを送り、作品性を高く評価した。
© 国立劇団

多様なジャンルを行き交う力の源泉は何ですか。
ジャンルは違うものの本質は同じです。演劇でもジェスチャーを使いますが、これは舞踊に近い。セリフも言葉でしゃべっていて、クライマックスになると歌になる。ジャンルを行き来することは非常におもしろいんです。そんなに大変なことではありません。台本を見てこれは演劇が良いとか、あれはミュージカルにするとおもしろいとか。演出家として一つの形式だけに固守するよりは、いろいろなジャンルを経験するほうがはるかに楽しいです。そして作品というのは縁も関係します。いくらしたくても縁がないと結局はできなくなります。

ソウル市劇団団長となり、重点をおいていることは何ですか。
大衆性と娯楽性は重要な要素です。公共劇団であるだけに多数が共感し、納得できる普遍的な物語を扱うのが良いと思います。それに加えて、よく完成された作品をお見せしなければなりません。水準の高い美学をお見せしなくてはならないという話です。目標はなかなか高いと言えます

ソウル市劇団ではどんな作品をどのくらい上演する計画ですか。
まず魅力的な西洋の古典作品をやろうと思います。19世紀か20世紀初めの作品を検討しています。準備をきちんとして再来年くらいには時代性を帯びた創作劇も作る計画です。ソウル市劇団なのでソウルについての物語になるのではないかと思います。私が直接台本を書くよりも作家に頼んだり、公募する形式になるでしょう。任期の3年間、演劇に集中するつもりです。
1年に5本くらい制作しようと思います。少なくない数字です。以前の作品の中からも適当なものがあれば、再演する計画もあります。

『趙氏孤児、復讐の種』は一族が皆殺しになり滅亡させられた趙氏一族の最後の一人が成長し、復讐を遂げる物語だ。国立劇団で最も観たい演劇1位に選ばれたこの作品は、観客のたび重なる再演要望により、2021年4月に明洞芸術劇場の舞台で再演された。
© 国立劇団

どんな方法で演出アイデアを得るのですか。
尊敬する画家パク・バンヨン(朴芳永)先生から2002年に『愛すれば知る』という書道作品を頂きました。最初はその意味を理解できずにいましたが、3年が過ぎてようやく悟りました。その後、私の生き方が変わり始めました。知ることで愛するのではなく、愛すれば分かるようになるのです。納得して愛するというのは違います。愛すればわざわざ納得したり、理解させる必要がなく、仕事でも進度が早く進み葛藤も少なくなります。アイデアがわかないのは愛が不足しているからだと思います。作品をより愛すれば、おもしろいことにアイデアが出てきます。万事にこの原則を適用して努力していますが、そうしていると俳優たちやスタッフとも仲が良くなりました。作品を作るたびにこの言葉を思い出します。そうすると変に力んだりせずに楽に作品に接することができるようになりました。

「愛」という単語は、コ・ソヌンの演劇を理解する上で有用なキーワードですか。
私の演劇はすべてそのようにして生まれてきました。愛して、そこから生まれてきた作品です。演出のために作品を研究していると、きりがありません。ところが私は作品を愛しているので、そんな風に長い間研究する必要がありません。愛することですでに理解しているのです。複雑なことはありません。もちろんこのことを時々忘れて、時にはストレスを受けたり怒ったりもします。それでも何度も何度もこの言葉を思い出していると、自制し、節制することができるようになります。

創作ミュージカル『百万本の愛』は、今年10月国立中央博物館の劇場ヨン(龍)で再演された。9月末、最後の練習に余念のない演出家コ・ソヌン(写真)は、重い歴史的な事件をウィットに富んだ演出で具現すると評されている。

演劇はだんだんとその地位を失いつつあるのではないですか。
それでも演劇は実に素晴らしいものです。演劇は継続されなくてはなりません。技術が発達すればするほど人々は機械の付属品のようになり、どんどん孤独になります。そうであればあるほど、目の前で観客を泣かせたり笑わせたりする演劇は、人間は個人として尊重されるべき存在であることを語り続けていかなくてはなりません。

これまでに試みていない新しいジャンルにチャレンジしたいとは思いませんか。
そのうち映画も一度作ってみたいです。演劇と映画は少し違います。演劇は観客と同じ空間で呼吸して老いていくことを毎日繰り返しており、映画は一度だけうまくやれば良いものです。映画は自然体でなければならず、演劇は自然体以上の何かを見せなくてはなりません。まず先にシナリオを書いてから映画を作りますが、映画も私と縁があってこそ作れるものです。まだシナリオも書いてはいませんが、準備はしようと思っています。



イム・ソㇰギュ林錫圭、ハンギョレ新聞記者
ホ・ドンウク 許東旭、写真家

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